分かりやすい
どうも、おずんぼです。
今日は電車の中で友達とした話をここで深堀りしたいと思います。
何の話をしたんだい?
それは、自分がセクシャルマイノリティであることを親が全く気づかないということです。
自分は性自認・性指向共にマイノリティで、普通に生き延びることは出来ません。
今日の服装を聞けば何となくわかるはず。
まずスラックス、ワイシャツの上に紺色長袖の学校指定の男女兼用セーター、黒縁細めのメガネ、短髪。
これを聞いて、女子やん!って思った人少ないんじゃないでしょうかね。
自分の身体的性別が女子であることを知っている人はあれですけど。
黒と所々ピンクが入っている、かなりカッコイイリュック付きでスニーカーを履いています。
カバンと靴は学校指定はありません。
で、髪長くて結んでてベスト着てスカートのThe女子、っていう子と一緒に帰ってました。
もしかしてカップルなれてっかな?
じゃなくてですね。
その友達とを比べると、やはり自分はもうボーイッシュ超えて男子なんですよ。
てか男子に見られたいんです。
家でもこんな感じだし。
女の子なんだから、という風に何か言われれば、それは女の子に言いなよ、と返します。
だって自分女の子じゃないし。
小4~小6まで、出かける時に親にスカートを履けと言われました。
スカート履くくらいなら出かけない、とずっっっっと言い続けて。
高校を選ぶ時に、スカートを履かなくてもいいような所を見てたり。
今もスラックスに変わってから一度もスカートを履いてません。
自分の中で、スカートを履く=女装、みたいな感覚があって。
まだ身体的性別が絶対だという時代に生きていたので、そう見られるんじゃないかと思うんです。
男子だってスカート履きたきゃ履けばいいし。
けど、自分はもう二度と履かないと思います。
いい思い出無いし。
物心がつく頃、なんて一切覚えてないし、分からないけど。
記憶にある自分にとってはスカートを履くことは常に苦痛でした。
女の子なんだから、という言葉にも反発心がありました。
男の子だったらいいの?なんて何度聞き返したものか。
中には、男子でもやらなきゃいけねーだろって思うことあったし。
それを除いても基本的には嫌な言葉でした。
こんなに言動で表しているというのに、親は全く気づいていません。
FTXというワードを聞いても何も聞きませんでした。
ちょっとカムしても、ナベシャツ着てみても。
何してもダメです。
言わなきゃいけないことなんて分かってるし、それは1番自分が理解しているけど。
簡単に言えるのならば、今こうして隠してなんかいない。
父親に、否定しなければ認めなくていい、と言われた時。
凄くショックでした。
自分は家族にすら認められないのかもしれない。
じゃあ誰が理解してくれるんだよって。
一緒に帰ってくれる、昼も一緒に居てくれる友達は分かってくれてるし、こうやって一緒に考えてくれるけど。
やっぱり家族には分かってほしいなって思っちゃいます。
なんだかんだ言っても、家族だから。
全てをわかって、なんて言わないから。
自分がどういう人間なのか、もう少し疑問を持って聞いて欲しい。
難しいかもしれないけど。
自分には2個下の妹がいるんです。
自分は3月生まれで妹は2月生まれなので正確では無いですが。
妹が生まれる直前、自分はある感染症の合併症で手術をしたことがあるんです。
まだ2歳にならないくらい。
もしかしたら、完全に自分にだけに目を向けられていたのは、あれが最後だったと思います。
もちろん、2歳児も目を向けていないと何するか分からないけど。
自力で生きていくことが不可能な新生児の方が、やっぱり重要になっていくわけで。
そこから、妹により気を向けるようになって。
今では、自分がどこ行こうが親は構わないし、けど妹がどこかに行こうとすると受験生なのもあるけどめちゃくちゃ心配します。
馬鹿な子ほど可愛いって言いますからね。
ある程度色んなことが出来て、勉強もすごく困るわけじゃないから。
ちょっと離してても大丈夫だから。
放任、というか、放置、というか、無関心というか。
そうなってしまうわけですよ。
仕方ないって分かってるけど。
ここまで来ると、少しだけ、寂しいかもなって思ってきて。
思い返せば思い返すほどそうで。
結果、こんなこと考えなきゃ良かったって。
でも考えちゃう性格だから。
結果として思っても、また考えちゃう。
自分があの時いじめに気づけてたなら。
自分がセクシャルマイノリティじゃなかったら。
タラレバだけど。
親に、もう少し気にかけて欲しいなって思ってます。
みなさんは、どうですか?
読んでる人に幸あれ
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