どーでも日記

なんだかちょっと変な高校生のブログ

修学旅行

どうも。おずんぼです。



かなりお久しぶりです。



現在、題名の通り修学旅行に来ております。



東京駅から新幹線で広島を寄り、博多駅に着き、バスで唐津やハウステンボスや福岡市へと移動しております。



1日目は広島の原爆資料館や平和記念公園でガイドさんからの説明を受け、博多駅に着いてからバスで唐津のホテルに泊まりました。



戦争自体は教科書や小学生の時に読んでいたはだしのゲンで知っていた部分もありましたが、やはり悲惨な現実であったことは変わりありませんでした。



むしろ、現物を見ながらだったので、より自分事として捉えることができたと思います。



自分が生まれる何十年も前の話、本だけで言われてもピンと来なかった部分がどうしてもありましたが、遺された建物や物品から何かを感じ取れたと思います。



新幹線では4時間ほどあったのでほぼ寝てました。



お昼ご飯とあとは新大阪の駅に停まった時にはちゃんと起きてました。写真も撮りました。



博多駅に着く頃には暗くなっていて、駅出てすぐの所がイルミネーションでめちゃくちゃ綺麗な景色になってまして。



メガネを外していても何となく分かるくらい。



2日目は、長崎市内を自主研修ということで班別行動でした。



出島や眼鏡橋、そして路面電車と、短い時間ではありましたが巡ることが出来ました。



めちゃめちゃ雨降ってて、出島はほとんど見れず。お昼ご飯はトルコライスを食べ、眼鏡橋は雨風のお陰で眼鏡になってませんでした。



路面電車は、想像したもののような車両に乗れ、ワンマン運転だったので反対側の運転席の写真を撮りました。



そこからハウステンボスに移動、ホテルに荷物を置いて夕食がてらハウステンボス内の散策でした。



もうクリスマスの飾り付けになっていて、この前ハロウィン終わったばかりなのに凄かったです。至る所にサンタさんいましたし。



三階建てのメリーゴーランドにも乗り、ちゃんぽんを食べました。



途中にあった何とかガーデンとやら言うところのライトアップがめちゃくちゃ綺麗で、ずっと写真を撮ってましたね。



夜ご飯を食べていたら、かなり近くに友達がいることが発覚。クラスも違うので会えないかなーとは思ってたんですが。



自分らも向こうもクレープ食べようとしてたので、一緒に行くことになったんですが、終わりの時間に近づいていて、走ることに。



なんとかラストオーダーには間に合ったものの、次は点呼の時間に間に合わないかもしれなくなって。



クレープから飲み物に急遽変更。しかし、走ってホテルに向かう途中で班員の子がズッコケ、頭を打ったということで焦らずゆっくり行くことに。



本部携帯に連絡を入れるが電話に出ず、とりあえず向かおうとホテルの入口付近に着いた時、学年主任が居たので口頭で説明。先生たちには伝えてくれるということで歩いて向かいました。



道中で養護教諭の先生と付き添いの看護師さんに出会い、転んだ子を引き渡し、自分と友達と友達の班員はホテルに向かいました。



自分と転んだ子そして先に戻っていた子が同じ部屋、友達とプラス3人が向かいの部屋だったので、先に戻っていた子と友達と相部屋の子1人が鍵を取ってきてくれました。



自分の相部屋の子がなかなか戻ってこなかったので、友達の部屋に一旦お邪魔しました。



まぁ隣のクラスの担任と仲良いし、状況が状況だから許されるだろうということで。



相部屋の子が鍵を持って戻ってきて、自分たちは一旦風呂に入ったりして落ち着くことに。



先生が点呼に来てくれた時にはかなり落ち着けていましたが。



転んだ子は念の為で病院で検査してもらうとなったので、養護教諭の先生にその子のリュックと上着を渡し、自分たちは自分たちでやる事をやり。



夜は一応先生の部屋で過ごすことになり、2人で寝ました。



打撲程度で済んだみたいで、大事にはならずに事を終えました。



翌朝はバイキング形式だったけど食べる時間がむちゃくちゃ短く、そんなに食べれませんでした。



お昼ご飯とお土産買ったりする時間がさっき終わり、今は福岡市に向かうバスの中です。



真っ白のパーカー着てるくせして焼きカレー食べました。



汚しませんでした。



これから明太子の味付け?作業をしにいきます。



他にも何個か体験学習あったんですが、1番安いやつにしました。



友達は違うやつです。



修学旅行は残り1日。



あとは福岡市内を散策して飛行機で羽田に戻ります。



飛行機はさんざん乗ってきたんで。慣れてます。



楽しんできます。



読んでる人に幸あれ

諦める

どうも。おずんぼです。



自分が通う高校では、大きなテストがある度に数学の授業で解き直しをするんです。専用のプリントがあって、解き直しするコーナーと何で間違えたかっていうのと改善点を書くっていうのもあって。



今回の中間テストも例外じゃなくて。



少し前の授業で配られ、昨日あたりに提出したんですよね。自分にしてはものすごく早いんですけど。



解き直しは答えを見ながら出来るのですが、他のふたつは自分で考えて書くんです。



テストって、見ただけで分かる捨て問ってあるじゃないですか。



その捨て問の解き直しやった時に、「諦めた」って書いたんです。



捨てた、って書くより圧倒的に良いだろうと思ってたし、なんならその通りだし。



そしたら、返されたプリントには、「諦めた、はあなたの気持ちです。間違えた理由を書いてください。真面目に書いてください。」って。



いや、めっちゃ真面目だし。



諦めたから解けなかったわけで。



間違えた、を、得点に出来なかった、と言い換えれば。



諦めたから解けず得点にできなかったという。



つまり、諦めなければ得点になったかもしれない。



計算を間違えたから得点に繋げられなかった、と同じです。



諦めた、のは気持ちじゃなくて事実。実際に諦めたんです。解かなかったんです。



そして、自分は常に真面目です。



流石にこういうプリントでふざける訳ないし。



自分はストレートに物事を言わないんです。遠回しに、読めばわかるようなことを言います。



なので、ちょっとそれを考えればわかる。



文系脳なんでしょうね。



理系の先生には理解出来ないんだろうか。



完全理系の両親がカミングアウトしているのに気づかないんで、きっとそうなんでしょうけど。



自分の周りには文系の人しか居ないので、会話に困ったことはありません。



諦めた、とだけ見れば真面目に書いていないように見えるけど。



諦めた、ということは解くことが出来なかった、だから正解しなかった、という。



多分一番最初に提出したはずだし、考える時間はあったはずです。



どうせ部活に参加しないような自分だから、ふざけて書いているんだろう、としか思わないからこうなるんですよ。



それだけで全てを判断するから。



部活と授業は違います。



というか部活も行くタイミングを逃してるだけです。サボりたいぜ!って思ってるわけじゃありません。



言葉は複雑なんですよ。



ここで言ったって何にもないけど。



読んでる人に幸あれ

否定されるって

どうも、おずんぼです。



自分は親に事あるごとに否定されて育ちました。確実に自己肯定感に影響してるんです。



まず、親は勉強や運動に困らずに生きてきて、結構すんなりだったと聞いてます。



それに対し、自分は勉強が苦手で運動もそんなに出来なくて、正直周りと違う事だらけで困ってばかり。



なので自分が出来ないことがあると、なんでそんなことも出来ないのか、と言われ。



出来た!と思っても、それくらい出来て当たり前と言われる。



上には上がいる、下と比べるな、母はもっとやってた、父はもっとやれてた。



自分を見てくれませんでした。



国語と社会が自分には得意だけど、国語なんて日本人なんだから出来て当たり前。



社会は暗記科目だから出来て当たり前。覚えるだけでしょ。



両親は理系の人間なので、そもそも考え方が違うんですよね。



自分はとてつもなく数学と化学・物理が苦手で、応用の計算問題とか出来ないんですけど。



それが当たり前に出来て、成績や進学先に困らずに生きてきた。



そんな人たちに勉強しなきゃいけないのに出来ない人、やったところで出来ない人の気持ちなんて理解できるわけもないし。



けどそんなに否定する?って思ってるんです。



自分は自分なりに精一杯で頑張ったし、考えないといけないことは勉強や進路だけじゃないし。



それを知ろうともしないで勝手に何も考えないで生きてるって思うから。



お姉ちゃんだから、と言われた事は実は無いんです。



だけどいつも荒れてる妹の尻ぬぐいはいつも自分です。



言外に含まれてるんです。



「誰かご飯炊いてよ」って母親が言った時大抵妹は自分になすりつけます。



そして、母親もこちらを向きます。



お前がやれよ、と言わんばかりの視線で。



っていうのが高頻度で起きてます。



はいはい、やりますよって思える時もあれば自分も人間なので、やりたくないって思う時だってあるんです。



そんな時に、母親が「私がやればいいんでしょ」みたいなこと言われるから。



あぁまたこうさせてしまった。



っていう負のループに入って。



そんな人がどう自己肯定感上げろと?



最近よく言われるんです。



もっと自分のこと伝えて、そして自己肯定感を上げなさい、って。



え?



自分のことを伝えられなくなったのはあたかも親が一番大変ですみたいにされるから言うの控えるようになったし。



家庭に要因しかないのに。



それを認めようとしない。



自分の心が壊れるのが先か、親から離れるのが先か。



どちらにせよ、いい結果ではないと思います。



実家出たらもうしばらく帰らないと思いますし。



よっぽどなことが無い限り帰らないと思います。



その自信ある。



電話もどうか。



まぁ普通に忙しいでしょうし。



どうなることやら。



読んでる人に幸あれ