どーでも日記

なんだかちょっと変な高校生のブログ

配慮と大きなお世話

どうも。おずんぼです。



最近、演劇部の友達にセクマイ要素が入ったシナリオ作りたいと相談されていて、自分はほんの少しの力かもしれないけど、今日また打ち合わせ?じゃないけど物語の構成を考えました。



自分は性指向も性自認もどちらもマイノリティで、この界隈に関してはかなり調べているのでどんな人が居るのかをぼんやり把握しています。



まぁそういうことで知識提供をしているわけで。



カミングアウトに関しては数回経験済みですし、そのカムした人たちにカムされてどう思ったのかって聞いたこともあります。



家族には絶対言えてないんですけど。



どんな形であろうと自分も当事者であることに変わりはないのでね。



で、どんな物語が良いかって話してたんですよ。



最初は、性を探っていく話を考えてたんですけど、難しくなりそうだし。



高校生向けの演説って教えてもらったんで、アウティングはどうかなって。



オプチャに入ってるんですけど、前にそこに居た年上のカッコいい人がめっちゃアウティング食らったことあるらしくて。



そこからいじめに発展するケースもありますし。



アウティングはセクシャルマイノリティだけでなく、人に言いずらいことを持ってる人みんなにある危険性で。



けど実際にはほとんど知られてない内容でもあって。



身近なことなんだよって自分には分かってほしいんです。



修学旅行が終われば自分もカミングアウトしていこうって考えてるし。



タイミングがあるかどうかは分からないけど。



だけどクラス外だったり関りのない人たちにこいつは同性愛者で男の傾向があるっていうことから謎のレッテルとか偏見とか押し付けられたくなくて。



それでもカムしたいワケは、自分は隠し事が苦手なんです。



隠さなければならないことと、隠さなくてもいいことって違うんです。



別に自分はセクマイなのを隠して生きていきたいとは思わないし、むしろそれを武器にして上手くやっていきたいって思ってて。



修学旅行はさすがに、ってことで今ほとんど言ってないだけなんです。



どうやっていけばいいのか。



堂々と女子が好きで、男に見られたいって言いたいけど。



同性愛者、Xジェンダーって言うと珍しい生き物になるけど。



数学と英語が苦手で超文系な頭のアホで電車が好きな高校生って言うと、その辺に居る高校生と変わらなくないですか?



自分は、セクマイの自分じゃなくて、ただの自分として見てほしい。



じゃあ言わなきゃいいじゃんってことなんだけど。



偽りの自分と仲良くなった人、仲良くしてくれてる人は、果たして友達と言えるのか。



自分の、ちっぽけなプライドが傷つく気がして。



ほんと、難しい世界。



ちなみに、アウティングが何でダメなのか。



普通に考えて、ちょっと人に言いずらい事を持ってて、親友だけに話したつもりなのに次の日学校に行ったらみんな知ってるって思ってください。



余計な事すんなよって思いません?



良かれと思って、は必ずしも人を助けるわけではない。



時には最恐の凶器になりえる。



配慮は、その人が生きるために最低限必要なもの。



大きなお世話は、その人が生きるのに確実に必要ではないけど第三者が勝手に必要に感じていること。



って自分は思ってます。



読んでる人に幸あれ

つまらない

どうも、おずんぼです。



急遽6限が自習になったので書きます。



つまらないものは、授業です。



分かってますよ。



先生方は毎日どうやったら自分たちが楽しく授業を受けられるか考えているということは。



けど、そうじゃないんですよ。



もちろん楽しいなって思える授業はあるし、その反対に楽しくないなって思う授業だってあります。



自分と先生では感じ方や考え方も違うし、集中力だって違います。



それを除いても、自分はつまならいと感じることが多いんです。



ものすごく喋り方が上手い先生でも、そこまで上手じゃない先生でも、面白くないものは面白くない。



常に面白い先生は、新しい何かを持ってるんです。



自分たちと感覚が近いのもあります。



そんな面白い先生は大概若い先生です。



ベテランの先生と違って間違えたりする箇所が多いことはもう全く気にしてなくて。



例えば、学年の先生とあった話、家であったこと、先生の学生の頃の話。



どれも色んな先生から聞いたことはあると思うんですが。



その雑談をどう面白く話すか、が肝なんじゃないかと。



授業が面白いかどうかなんて、大人でもあんまり変わらないと思うんです。



高校生の集中力は大人と大差ないですし。



雑談って授業の中では必要ないものと言われがちです。



確かにそれを聞いて英語が上達するわけでも、計算が出来るようになる訳でもないし。



けどそれ以上に何かありませんか?



自分が中2と中3の時にお世話になった塾の先生にある人がいました。



主に数学と理科担当、大学3年生で就活もしている先生でした。



高校までは陰キャとして過ごしてきたそうです。



そんな先生は自分が塾に入った時には人気の先生でした。



体験授業でもその先生が担当することが多かったです。



なんで人気だったのか。



有名校に行っているとは聞いたことないし、めちゃくちゃ陰キャだし。



その先生は、雑談が面白かったんです。



毎授業、10分くらい必ず雑談がありました。



しかも途中に挟むんです。



そうすることによって、無くなりかけた集中力が回復する。



一旦勉強は捨て、超どうでもいい話をしてリセットするという感じですね。



それは色んな学年に効果的で、小学生~中3生まで。



学校で人気の先生も同じです。



雑談がめちゃくちゃ面白い。



ただただ勉強だけさせるなら雑談は必要ないし、時間の無駄であろう。



しかし集中力の問題ではその雑談が上手く働く。



自分は研究者でもなんでもない一学生であるから、何がどう働いてるのかなんてさっぱり分からないけど。



実際その雑談が自分たちによく効いているのは確かである。



人間の集中の限界は25分と聞いたことがある。



集中のし過ぎ、を除いて。



その限界の倍、50分集中するのは普通に不可能だと考えても不思議では無い。



もし50mを走るのが限界だとしたら、100m走るとは酷だし。



だが集中力はそう言われない。



嫌なことに耐える練習だの、社会で使うためだの。



様々な理由が大人によって付けられているが。



学校で勉強するということが嫌であることが分かっていながら何の改善もしないこと。



割合やたし引き算や漢字は使うにしても、絶対関数とか古文を日常生活=社会で使うことは無いと分かってるだろう。



そのどれもおかしくないか。



人との関わり方や家事のやり方を教えた方が今後生き抜くのには確実に必要だし、関数や古文を覚えるスペースがあるのなら、パソコンの使い方を知った方が確実に役立つ。



私たちが学生の時やらされてたんだからあなたもやりなさい。



そんなセリフ、何?



てか環境めっちゃ違うし。



今の教育現場を見てそれを言っているのか。



教科数は増え、小学生のうちからプログラミングとかをやらされ、その上夏休みが減らされるかもしれない。



クーラーが付いたから、とか言うけど。あなた達が学生の頃、こんなに暑かったんですか?



自分が中3の時に本格的にパソコン等が教育現場に導入され始めた。



妹の代は小学校高学年から。



しかし、教科書や学習指導要領だけで全てを判断しなければならないのなら、同じことをしてきたことになる。



小学校高学年から身近にパソコンがあった人と、小学生の時は年に3回使えれば万々歳で中学では中3になるまで一切触れなかった人、同じだろうか。



高校に入っても、1個下からタブレット(パソコン)を1人1台持ってるらしい。



自分らは高一の情報の授業のみ。



しかも、週1で1時間。



下の代はこうやって刺激ある授業をしているというのに、自分たちはアナログでつまらない授業だらけ。



これでも50分集中しろと?



ならば、あなたたち、試して見てください。



自分たちがどんな境遇か。



自分は強く改善を求めます。



教育現場を、もっと居やすい場所にしてください。



もし関係者が居れば、これをちゃんと知って欲しいですね。



読んでる人に幸あれ

分かりやすい

どうも、おずんぼです。



今日は電車の中で友達とした話をここで深堀りしたいと思います。



何の話をしたんだい?



それは、自分がセクシャルマイノリティであることを親が全く気づかないということです。



自分は性自認・性指向共にマイノリティで、普通に生き延びることは出来ません。



今日の服装を聞けば何となくわかるはず。



まずスラックス、ワイシャツの上に紺色長袖の学校指定の男女兼用セーター、黒縁細めのメガネ、短髪。



これを聞いて、女子やん!って思った人少ないんじゃないでしょうかね。



自分の身体的性別が女子であることを知っている人はあれですけど。



黒と所々ピンクが入っている、かなりカッコイイリュック付きでスニーカーを履いています。



カバンと靴は学校指定はありません。



で、髪長くて結んでてベスト着てスカートのThe女子、っていう子と一緒に帰ってました。



もしかしてカップルなれてっかな?



じゃなくてですね。



その友達とを比べると、やはり自分はもうボーイッシュ超えて男子なんですよ。



てか男子に見られたいんです。



家でもこんな感じだし。



女の子なんだから、という風に何か言われれば、それは女の子に言いなよ、と返します。



だって自分女の子じゃないし。



小4~小6まで、出かける時に親にスカートを履けと言われました。



スカート履くくらいなら出かけない、とずっっっっと言い続けて。



高校を選ぶ時に、スカートを履かなくてもいいような所を見てたり。



今もスラックスに変わってから一度もスカートを履いてません。



自分の中で、スカートを履く=女装、みたいな感覚があって。



まだ身体的性別が絶対だという時代に生きていたので、そう見られるんじゃないかと思うんです。



男子だってスカート履きたきゃ履けばいいし。



けど、自分はもう二度と履かないと思います。



いい思い出無いし。



物心がつく頃、なんて一切覚えてないし、分からないけど。



記憶にある自分にとってはスカートを履くことは常に苦痛でした。



女の子なんだから、という言葉にも反発心がありました。



男の子だったらいいの?なんて何度聞き返したものか。



中には、男子でもやらなきゃいけねーだろって思うことあったし。



それを除いても基本的には嫌な言葉でした。



こんなに言動で表しているというのに、親は全く気づいていません。



FTXというワードを聞いても何も聞きませんでした。



ちょっとカムしても、ナベシャツ着てみても。



何してもダメです。



言わなきゃいけないことなんて分かってるし、それは1番自分が理解しているけど。



簡単に言えるのならば、今こうして隠してなんかいない。



父親に、否定しなければ認めなくていい、と言われた時。



凄くショックでした。



自分は家族にすら認められないのかもしれない。



じゃあ誰が理解してくれるんだよって。



一緒に帰ってくれる、昼も一緒に居てくれる友達は分かってくれてるし、こうやって一緒に考えてくれるけど。



やっぱり家族には分かってほしいなって思っちゃいます。



なんだかんだ言っても、家族だから。



全てをわかって、なんて言わないから。



自分がどういう人間なのか、もう少し疑問を持って聞いて欲しい。



難しいかもしれないけど。



自分には2個下の妹がいるんです。



自分は3月生まれで妹は2月生まれなので正確では無いですが。



妹が生まれる直前、自分はある感染症の合併症で手術をしたことがあるんです。



まだ2歳にならないくらい。



もしかしたら、完全に自分にだけに目を向けられていたのは、あれが最後だったと思います。



もちろん、2歳児も目を向けていないと何するか分からないけど。



自力で生きていくことが不可能な新生児の方が、やっぱり重要になっていくわけで。



そこから、妹により気を向けるようになって。



今では、自分がどこ行こうが親は構わないし、けど妹がどこかに行こうとすると受験生なのもあるけどめちゃくちゃ心配します。



馬鹿な子ほど可愛いって言いますからね。



ある程度色んなことが出来て、勉強もすごく困るわけじゃないから。



ちょっと離してても大丈夫だから。



放任、というか、放置、というか、無関心というか。



そうなってしまうわけですよ。



仕方ないって分かってるけど。



ここまで来ると、少しだけ、寂しいかもなって思ってきて。



思い返せば思い返すほどそうで。



結果、こんなこと考えなきゃ良かったって。



でも考えちゃう性格だから。



結果として思っても、また考えちゃう。



自分があの時いじめに気づけてたなら。



自分がセクシャルマイノリティじゃなかったら。



タラレバだけど。



親に、もう少し気にかけて欲しいなって思ってます。



みなさんは、どうですか?



読んでる人に幸あれ